主に甥姪達にバースデープレゼント、クリスマスプレゼント。
ちょっとした思い付きで始めたものが、次第に毎年の恒例となり、いまやすっかり「いつものあれ」になっています。
贈る側の私としては毎年状況は変わっており, なんやかや忙しかったりすると「ほんとにもらって嬉しいのかな。喜ぶのも一時で直に忘れてしまうんだろう」などと自分に都合良い言い訳をこじつけてプレゼントさがしに積極的になれなくなります。ましてや、予め「プレゼント何が欲しい?」などと尋ねたりすると、指定の品物を探すのに手間取り、「お取り寄せ」になったりでなおさら自分で自分の首を絞める面倒な結果となってしまいます。
そんな中、ついに、去年は毎日あわただしく過ごす内に誰にも秋のお誕生日祝いをせずに、クリスマスプレゼントも間に合わず年末まできてしまったのでした。仕方なく、年末に実家に集まった甥姪達にお金をわたし「それぞれ○○円の範囲で好きなものを買って」という、ありがちな、情けない展開になりました。
年が明け、冬物セール真最中のウィンドウに妹に似合いそうなジャケットを見つけたのでさっそくに贈りました。そうしたら、何気なく贈ったものなのに予想以上に喜んでくれたのでこちらもびっくり。
そんな折り、この何年も疎遠になり、年賀状のやり取りだけになっていた古い友人から手紙が届きました。中には、可愛いイラストのバースデーカードが3枚。身の回りの整理をしていたら出てきたもので、処分するにはもったいないから書いた本人に返す、という主旨の手紙が同封されていました。当の本人の私は完全に忘れていましたが、よく見るとイラストは私の手描きだったのです。手のこんだ絵で、上の方には画鋲で留めた痕がありました。決して引き出しの奥から出てきたわけではなく、壁に貼ってあったようです。カードに書かれている文面から、カードと一緒に手作りのぬいぐるみなどのプレゼントも贈っていたようです。ほぼ25年前に私が贈ったプレゼント。驚いたことに、このぬいぐるみもまだ持っているらしく、私が望めば返却してもいいと。。。。
私の心のどこかにひっかりながらも、殺伐とした気持ちで見過ごそうとしていた疑問に答えが見つかった気持ちがしました。
25年前の私は友人の誕生プレゼントに長い時間をかけて準備し、手間をかけて絵を描き、カードにびっしりとたくさんの言葉を書いていました。なのに、いつの間にかプレゼントを贈ることは私にとっては慣習となり、義務のようになり。。。
プレゼントは、何を贈るかではなく、もちろんセレモニーでもなく、贈る相手のことをあれこれ考える時間そのものが大事なのでした。欲しいものを課題として出されたら、その品物を探している間はその人のことだけを考えている、それ自体が大切な時間なのでした。妹がジャケットをあれ程喜んでくれたのもきっと、自分のことを忘れずに思い出してくれたという事実が嬉しかったのだと思います。
gift≒与えるもの ではなく, present⇒心からの贈り物 だということをもう一度心に記しました。

