中見れば綿こ
下見れば雪こ
最近新聞で見つけました。
東北地方の童歌だそうです。
同じ雪でも、上を見上げれば虫のように見え、
横を見れば綿のように見え、
見下げれば雪。
まさにそのとおりに感じたことがあったので、心にとまりました。
一つの物でも見る角度によっては、こんなに異なって見えるものなのですね。
それを端的に表現できるのが写真でしょう。
同じ(?)自分の顔でも、若く輝いて写っている時もあれば、否定したくなるほどに老けて写っている時もある。
でも、どの写真も、確かにそういう表情をした瞬間があったから、そのとおりに残っている。
私は、今まで写真というものにあまり価値を置いていませんでした。
ファインダーをのぞくと、それ以外は見えなくなってしまうし、写真で見てみると自分がその時見て感じたものとは雰囲気が違ってしまう。素晴しい紅葉だったのに、写真にすると何だか平凡。実物はもっと素晴しくきれいだったのに・・・
だからいつも、写真を撮るよりは大切な一瞬を「目のシャッターで心に焼付けよう」と自分に言聞かせてきたのです。
せっかく持っているデジカメも持歩かなくなっていました。
でも、この間乗馬の競技会に出て、後からその時の写真をいただきとてもびっくりしたのです。
確かに自分なのに、まるで見知らぬ真剣な顔の自分がそこにいました。
撮ってくださった方は、いつもデジカメではない重いカメラを持歩き、知合いの写真をたくさん撮り(毎回フィルム10本くらい使う)よく撮れたものを何枚か本人にプレゼントしてくれているようなのです。で、ご本人の写真はと言うと、下手な他の誰かが代りに撮るのでひどいもんなのです。。。お気の毒に。
運動会などそうですが、動きのあるものを写真に撮ろうとすると、全体が見えなくなるので、カメラマンはとてもつまらないことになります。でも、撮ってもらった側はとても嬉しい。だって、自分の目線とは全く異なったアングルの写真なのですから。しかも、競技の間は緊張していて、「目のシャッター」どころではありませんから。
そのことをきっかけに、写真、私も撮ってみようかと思いました。
2ヶ月ほど前に、最愛の猫を亡くし、未だに立直れない私としては、「あの子の顔が写真に残っていたらよかったのに」としょっちゅう感じているのです。もちろん「目のシャッター」にいつもいつも焼付けてはいたのです。
でも。。。目のシャッターは残念ながらだんだん劣化していくのです。
私が感じた「最も愛おしい」瞬間の顔を、写真に残しておいたらよかったのに・・・・
短い人生だから、心に残り、しかもすぐに過ぎ去ってしまう瞬間はなるべく形で残したいと思うこのごろです。

